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2011年6月

2011年6月30日 (木)

きいたハナシでは・・・

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バンコクでよく目にする光景。それは欧米人のおじさんとタイの女の子の組み合わせ。
そう、タイは夜の文化がとても盛んだそうだ。
日本人もタイに女の子を買いにきて好き勝手やっており、夜の世界ではあまりいい印象ではないらしい。
日本人在住者も多く、日本人をターゲットにしたようなストリートもあるぐらいだ。
しかし今回日本人のおじさんとタイの女の子という組み合わせを道で目にすることはなかった。なぜだ??
欧米人はバンコク、プーケット、ともによく目にしたのに・・・
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タイのことが好きな日本人が多いのも納得した。今回タイは初めてだったがすぐに溶け込んでいけた気がする。
なぜだかわからないが・・・
ここに流れている空気感。たまに吹く風・・・とても好きだ。
そして人々の陽気さ。これがこの国をよくしているようにも思える。今回何度も楽しそうに仕事をしている人達、それに楽しそうに会話をしている人達を見た。日本のような堅苦しい感じがない。もちろんみんながみんなそうではないが・・・
今回日本の気持ち悪いぐらいの「堅苦しさ」をここタイでわからされた気がする。
みなさん、もう少しだけ肩の力を抜きませんか!?僕は抜きすぎですが!笑

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今回もうすでにネパールで髪を切り、ネパーリーヘアーになっていたのだが、今回ここタイで再び切った。
タイのゲイの人に切ってもらい、タイ風ゲイヘアーに!!!!
一度ネパーリーヘアーになったので、もうなんでもアリだ(笑)

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タイ風ゲイヘアーになりアジア脱出!!
ヨーロッパの玄関口、イスタンブールへ!!!

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2011年6月28日 (火)

行ってみたいな、夢の国

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ネパールを後にしてタイへやってきた。タイへ来た目的はプーケットでのサーフィン。そしてプーケットでサーフガイドをしている友達に会うためでもある。
約4年ぶりの再会。若かった2人も今ではいい年だ。
4年という空白は長いようで短い。それを証明するかのように、お互いの関係はすぐに近まった気がする。

プーケットの波は日本海の冬のパターンとよく似ている。いわゆる風波。そのため雨季のシーズンにしか波はない。しかし雨季のシーズン以外はサムイ島に波があるらしく、タイは一年中サーフィン可能な国だ。
日本海同様風が強まり、波が大きくなり、そして風がやんだ時にベストコンディションとなる、はずだったが・・・
今回は2週間の滞在中一度も風が弱まることはなかった・・・こんなことは滅多にないらしい・・・
しかしここプーケットではオンショアコンディションでもあまり問題はない!地形のせいなのか、理由はわからないが・・・確かにサーフィン可能だった。おかげで滞在中毎日波はあった。パーフェクトな波ではなかったが十分に遊べる波、だと思われる。
だが僕の実力では・・・波を見極めるのに苦労した・・・サーフガイドの彼は・・・さすがでした・・・
うまく乗っているサーファーがいるのだからこれでできないと言えばいい訳だ。とキツイ一言(笑)


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今回の滞在中はある意味サーフ特訓となった。毎日サーフィンをし体はガタガタ。その上無茶をし、パーリングをした時に左胸をサーフボードのレールで強打。その後2日ほどは痛み止めを飲みながらのサーフィンとなった。
たまにビデオを撮りあったりもした。今まで自分の乗っている姿をあまり見たことがなく、それはそれは・・・
見てられなかった・・・そしてダメだし、ダメだし、ダメだし・・・
凹まされたおかげでサーフィンに対しての知識だけは増えたと思われる。
サーフィンの知識だけはレベルアップすることができた。

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サーフィンをし、ご飯を食べ、寝て、そしてまたサーフィン・・・・他に何をするでもなく、何を考えるでもなく・・・

夢みたいな生活。しかし眠りから目覚めた時、夢は終わる。2週間の滞在を終え、バンコクに向かうバスに乗り込み一人になった時、なんとなくスイッチが切り替わった。夢から目覚めたのだ。
現実と夢とをつないでいるのは、サーフィンが下手になったこと。いや、サーフィンが下手だとわからされたこと。

さていったい次はどんな夢をみるのだろうか。


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ちなみにプーケットの波情報が知りたければ彼のブログへどうぞ!!

http://ameblo.jp/mysurfinglife

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2011年6月20日 (月)

セッション

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今回のトレッキングの基点となった町ポカラから首都カトマンズへと向かう日がちょうどバンダと重なった。
朝起きて荷造りをし、フロントへ出て行ったときにバンダと知らされた。
初めてバンダで旅程を狂わされたのだった・・・
同じ日にカトマンズへと向かう予定だった、あの何も知らないイタリア人と2人で途方にくれる。
彼はネパールに滞在できる日数が残り少ないので、飛行機でカトマンズへと向かうという選択に時間はかからなかった。
僕は時間はあるがお金はない。ポカラの滞在をもう一日伸ばして、次の日にバスでカトマンズへと向かう選択をした。しかしこの時点ではまた明日もバンダかもしれないという情報・・・
どうにかなる・・・そう思わなければやってられない。
ポッカリとあいた一日。
そんな一日がネパール滞在の中で思い出深い一日となった。
昼食を食べにふらっと立ち寄ったレストラン。始めは一人だったが、流れるように一人また一人とつながっていき、出会ったばかりの人々と気づけば音楽のセッション。右手にスプーン、左手にフォークを持ち、テーブルや本などがドラムの代わり。
それで十分だった。音楽はやはり世界の共通言語だと思わされた一時だった。
しかし、ギターやハープは美味しいとこどりだな。

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次の日はUEFAチャンピオンズリーグの決勝戦だった。一緒にセッションしたメンバーの中の、日本をこよなく愛するイタリア人と、テレビで試合を見ようという話になった。
しかし翌日はバンダでなければ移動する日。別に必ず移動しなくてもいいのだが、次いつまたバンダになるかわからない。それほど不安定な情勢のときだった。なので移動ができるうちにしておこうと思った。
チャンピオンズリーグはバンダ次第。
翌日バンダは解除されて無事カトマンズへと向かううことができた。
心の中ではバンダであってほしいと少し願っていたのだが。


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2011年6月17日 (金)

海から見た、ケシキ。リトルアンダマン編


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2011年6月14日 (火)

山もまたいいもんだなー

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足の違和感は突然現れた。足首の筋を痛めたようだ。最初はおかしいなという違和感から、時間が経つにつれて歩くのも困難になってきた。
上りはまだ大丈夫だったが、下りになると痛んでペースが落ちる・・・でも歩かなければ帰れない・・・この時山の怖さを思い知った。今回はなんとか歩ける状態だったのでよかったが、もし歩くことができなければ治るまでその場で待機か、もしくはレスキューということになる。
怪我はもちろん、自分自信でのの健康管理も大切だ。トレッキングに一度出ると帰りたくなってもすぐには帰れない。気軽に行けるというイメージを植え付けるトレッキングの宣伝はどうかなと思った。
相手は自然なのだ。

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今回のトレッキングは朝から晩まで出会ったばかりの4人での行動となったのだが、波長が合うのか居心地はよかったと思う。ガイドを通してネパールのことや人々の事も知れたのでよかった。
こんなに標高の高い山々に、普通に人々が暮らしているということも今思えばすごいことだ。その時は見慣れていた景色も本当にすばらしい景色だったと今さらに思い直す。今まで海ばかりだったが、山もまたいいもんだなー

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そして今回雨が多かったものの、雨降ってこそのプレゼントが。

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2011年6月13日 (月)

山もまたいいもんだなー

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ガイドブックなどを読んでいると、今回行こうとしていたトレッキングコースは一人でも行けそうだった。現にトレッキング中、ガイドなしで歩いている人達もいたのだった。今回は自分のペースで行きたいという思いもあったが、初めてということで不安もあったのでガイドを雇うことにした。2人でならまだいいかと思っていたら・・・トレッキングを始めると4人でのトレッキングとなっていた。
僕と僕のガイド、そして、初心者ガイドとなにも知らないイタリア人・・・
イタリア人のガイドが今回初めてだということで、コースも僕達と同じだったので一緒に行きたいと僕のガイドに言ってきたようだ・・・もちろん彼がガイド初心者だということはイタリア人は知らない・・・
近年簡単にガイドの資格が取れるようになってきたため、こういうガイドがでてきているようだ。
もちろん僕が「YES or NO」を言う間もなくトレッキングは始まった。

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今回のトレッキングコースは言うならば初心者用コースだ。ガイドブックなどにも気軽に行けるようなニュアンスで紹介されていたほどだ。体力にも少し自信があったので大丈夫だろうという思いがあった。
想像していた以上にきつかったが、最初の2日間は問題なくこなしていた。次第に4人の輪も縮まり、自分のペースでは行けなかったものの、これもアリだな思えるようになってきた。2日目にトランプを購入し、その日から毎日トランプタイムが設けられたのだった。こんなにトランプをしたのは何時振りだろうか・・・

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トレッキングの醍醐味はもちろん壮大な景色にあると思うが、行く先々のロッジで出会う様々なトレッカー達との出会いも醍醐味のような気がする。この時期は雨季になりかけていたのでトレッカーの数は少なめなようだったが、その分顔見知りになるのにも時間はかからなかった。道中や食事、そして休憩中も人が少なかったので、それに関しても最適だった。しかし、天気は悪かった・・・雨は夕方になると毎日のように降るし(日中に降ることも!)、山も雲に隠れて見ることができない時が多かった・・・それでも朝の早い時間帯や時折雲の切れ間から見えるヒマラヤ山脈は絶景だ。あの山々は他の山々と何が違うのだろう・・・別格だ。まさに神々の領域。
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2011年6月10日 (金)

NO NEPAL NO BANDA

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ネパールといえばヒマラヤ山脈のトレッキングが有名だが、停電とバンダ(ストライキ)も有名だ。
人口増加が進み、水力発電による電気量がおいついていなく毎日計画停電が行われている。それも半日も・・・
雨季になると電気量が増えるので停電の時間は短くなる。しかし停電は日常茶飯事だ。最低限必要な電力は自家発電によってまかなわれているが、それでも電気を使うことは電気が使えるうちにと自然に考えてしまう。
それになれると、常に電気がなくてもたいした問題はないように思う。
バンダの時も何もできなくなる。日本では考えられないストライキだ。交通機関から会社や店、学校など全てが休みになるようだ。しかも1日だけでなく、長ければ20日以上も・・・
夕方からは店は開いたりするが、交通機関はそうはいかない。今回の滞在中にももちろんバンダは行われ、移動日と重なって足止めをくらわされた日があった。
そのためバンダの日は町全体がとても静かになる。車やバイクも走ってないので道路は歩行者天国となり、子供達の遊び場となる。日頃排気ガスや埃で充満している町の空気もこの日ばかりはすんでいる。
そして何もすることがないから人が自然と集まり、みんなで食事をしたり、談笑したり、のどかな時間が流れている。
バンダは確かに不便で色々問題もあるようだが、なかなかいい面もあるのではないか、と旅行者の勝手な目線から思ったのだった。

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このタクシー、なにをやらかしたのかはわからなかったがみんなに詰め寄られ、一目散に去っていったのだった。

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天国か

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インドからやってきた旅人達は皆口をそろえて言う。「ネパールは天国だ」。その言葉の真意を知るのに時間はかからなかった。張り詰めていた緊張感がスルスルとほどけていくことがわかった。
ネパールは僕にとって天国だった。
だからと言ってインドが地獄なわけではない。インドにはインドの、ネパールにはネパールの良さがある。
ご飯が美味しかったり、だまされる事が少なかったり、客引きの諦めが早かったり、見た目が日本人と良く似ている民族の人々に愛着がわいたり、店員の愛想がインドよりかはよかったり・・・今回の滞在でしんどいことはほぼなかった。
格差社会がはやりな世の中だが、ここネパールもその中の一つだ。物乞いをしている人や、おそらくシンナーであろう薬物を吸っている子供達の姿が首都カトマンズでは目に付いた。その一方、税金の関係で日本で買うより高い値段の車を乗り回している人達もいる。聞くところによるとそういう人達はまだ少数のようだが。それでもその格差は大きい。
ネパールの人々は言う。「我々はお金も物もないが心はいつもハッピーだ。日本人は違う。毎日働いて楽しむことができない」
マイケルジャクソンに憧れるジャクソンと名乗ったあるネパール人がいた。彼は友人達から「こいつはすごいダンサーだ」と褒められていた。僕が「それならきっと将来いいダンサーになれるよ」と言ったら、彼は答えた。「この国に将来はない」なぜかその後その言葉が頭にずっと残っていた。

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2011年6月 6日 (月)

そしてネパールへ

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アンダマン諸島を後にしてインド本土へ。壊れたカメラをデリーで直し、ルディアナでは知人宅でプチホームステイをさせてもらい、ローカルの雰囲気を味わうことができた。その後シーク教の総本山であるアムリトサルのゴールデン・テンプルを経て、チベット亡命政府の地であるマクロードガンジへ。
恥ずかしながらチベットについてあまり知らないままいった身である僕にとっては、ここは一つのリゾート地のように感じた。しかし数日滞在しただけであるが、食堂で相席した地元の人やデリーに戻るバスで知り合ったチベット人等と話すうちに、リゾート地の奥の顔が少しだけだが分かることができた。ヒマラヤを越えて亡命してきた人達がこの地にいる自然な光景は、今までの僕の中にはない光景だった。そんな人達と片言ながら話をしていると、アンダマンでホームシックになっていた自分がとても小さく思え、とても恥ずかしくなる・・・
好きで出て行きいつでも帰れる僕と、彼ら・・・。
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このマクロードガンジで片道4時間の一日トレッキングをして、ネパールでトレッキングがしたくなった。


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2011年6月 3日 (金)

サンドフライ

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リトルアンダマンには僕を含めて5人のサーファーがいた。いつも同じポイントに同じ顔ぶれ、そして同じ波。
しかし世の中便利になったもので、たまーにチャーターボードからのお客さんが来る時もある。
そんなお客さんから「ここはどこですか?」と尋ねられた時、5人は耳をうたがった。
2人はキャンプ生活2人はバンブーハウス、1人は地元の家で滞在している僕達と色々と違うのだなと思った。どちらが良い、悪いなどはない。でも人が増えるとあまりいい気分ではないということも事実だ。
そして、夕日に向かって乗っていった波は忘れられない、いい思い出となった。

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この島にはここら一帯の、島特有のサンドフライと呼ばれている虫がいる。蚊よりも強力な虫ということは聞かされていたが見たことはなかった。朝夕に浜辺に出没するといわれているその虫を少しなめていたようだった。
朝日が見たくて早起きをし、浜辺にハーフパンツだけをはいていき、写真を撮ったりストレッチをしたりいい時間を過ごせていたのだが、世の中良い時もあれば悪い時もある。その夜痒さがだんだんと広がっていき、次の日の夜には痒くて眠れない時間があった。なぜか持ってきていたムヒパッチを刺された箇所、そこらじゅうにはっていったが、全て使い切ってもまだ足らなかった。50箇所以上は刺されていたと思う。この痒さに我慢できずこの島から出発したのかも知れない。

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あまりいい写真ではないので、見たい人だけクリックしてください(笑)

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2011年6月 1日 (水)

TSUNAMI

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アンダマン・ニコバル諸島は第2次世界大戦で日本が統治下に置いた島々である。
そして「TSUNAMI」、それが日本との共通点でもある。2004年に発生したスマトラ沖地震では破壊的な打撃をうけ、この島々で少なくとも7000人が死亡したと言われている。今でもその爪あとがそこら中に残っている。
そしてリトルアンダマンで一番有名なサーフポイントのクマリポイント。DVD「Thicker Than Water」ですばらしいセッションを見ることができるこのポイントも、地震の地殻変動でブレイクが変わったという情報がある。
今回はクマリポイントまで行けなかったので実際はどうかわからなかったが、サーフポイントもずっとそこにあるとは限らないんだなと思った。地震や人の手によって・・・
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